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髙屋三佐江記念館

7th プロジェクト

「起業家を育てお互いに支えあえる社会を育てる」
株式会社フェニックス プロジェクト

~人が仕事を創り、仕事が人を育てる~創業は創職なり。

「夢・挑戦・達成」

皆様、こんにちは、私、島谷達彦と申します。
「人生、山あり谷あり」の人生を送って参りました。
高校教員として、学生を指導する立場から、起業家に転身し、多くの皆様のお力をお借りし、
「夢」を描きながら「笑顔」を忘れずに頑張って働いております。
現在は株式会社フェニックスの代表取締役社長を務めておりますが、
教育者としての経験や、起業家としての経験を活かしながら、
新しい分野においても果敢に挑戦していく姿を忘れずに、新しい常識を作っていける人間を目指しております。
常に「地域経済の活性化」を目指すための方向性を考えながら仲間とともに成長していきたいと考えております。これをご縁にお気軽にお付き合いいただけると幸いです。今後ともよろしくお願い致します。

『島谷達彦』の人生の振り返りと『教育者』として
これから活躍する若者の皆様に対するメッセージ

島谷達彦物語

少~学生時代

1964年5月11日に、和歌山県和歌山市で生まれる。
小学校時代
がさつで落ち着きのない子どもだったが、運動神経には恵まれ、足も速かったこともあり、小学4年生から「野球」を始めた。順風満帆でレギュラーとして近畿大会出場という実績を残すことができたが、突如、小学6年生の頃にスランプとなり、人生、初めての挫折を経験。
全てが嫌になり、中学進学をきっかけに一旦、野球から離れテニス部の門を叩いた。

中学時代
朝から晩までテニス三昧の日々を送る。
中学校時代のテニス部の指導の特徴は、勝ち負け度外視で、自由に打たせるというような選手の良いところを伸ばすという指導方針であった。その指導方針が自身に合っていたためか、のびのびとプレーすることができ、それほどテニスの練習において努力した記憶すらないぐらい楽しい3年間であった。その結果として、中学3年生最後の総体では、全国大会で個人戦優勝を果たすことができた。
しかし、高校進学を考える上でどうしても小学校時代の野球を諦めたことに対する後悔の思いが強く、日に日に「高校で野球をするんだ」という思いが、強くなり、友人ととある野球の強豪高校の願書まで取り寄せたが、中学時代のテニス部の恩師に見つかり、和歌山に残って欲しいと説得され、元来、人の思いに応えようとする気持ちが強かったこともあり、地元の県立和歌山北高校に進学することを決意した。

高校時代
いわゆるテニスの伝統校ではなかったが、「団体戦」ではインターハイ出場と国体でベスト8の記録を残すことができた。しかし、「個人戦」ではベスト64止まりで、中学校時代の全国1位からの後退に、大きなショックを受けた。

大学時代
高校時代、テニスの伝統校に進学し、「目標設定」と「練習量」が全国トップレベルであれば、個人で全国1位も可能だったかもしれないという思いもあったため、当時、テニスで全国1位の日本大学に進学を決意、日本一を目指した。しかし、最初の1、2年は大学と高校のレベルの違いにショックを受け、スランプに陥り、人生最初の大きな挫折を味わった。しかし、チームメイトが技量にかかわらず、コツコツと一生懸命に練習を続ける姿を見て、「目標に対して諦めない」ということの大切さを学び、それがヒントとなりスランプ脱出することができた。その結果、大学時代は「東日本シングルス」で優勝、団体戦では大学2位という結果を残すことができた。地ができた大変貴重な時間であったと思っています。

校教員時代

大学時代に保健体育の教員免許状を取得しており、知人の紹介で、大阪府の高校に赴任し、起業を始めるまで約20年間、お世話になった。
赴任と同時に「テニス部」の顧問に就任することとなったわけであるが、最初はテニスサークル的な感覚の部活動でチーム作りをする上で課題も多く、どこから手を付けたらいいのかわからず、初めての「指導者」として悩み、洗礼を受ける日々に直面した。
しかし、自身がプレーヤーであった時の気持ちを思い出しながら、選手の気持ちを考え、選手を育てていくことの楽しみや面白さを日々の指導の中から少しずつ感じられるようになってきた。
また、「勝つことの喜び」これを選手たちに伝えたい。これこそが「人生を生きていく上で選手たちの宝物に必ずなるはずだ」との思いから、自身が選手時代に得たことや、恩師から学んだ教育哲学を実践していくことを決意、「目標設定」を明確にし、「努力の裏付け」を課し、積み重ねていくことを軸に、指導した。就任1年目は地区大会で敗退したが、3年目には大阪府大会のベスト8に進出、近畿大会にも出場した。10年目より、退職までの約10年間は、「個人戦」を中心に全国大会にも出場できるようになり、「団体戦」でも、国体で全国2位という指導者としても結果を残すことができた。
しかし、35歳頃より、「自分の人生、このままでいいのか」という思いが湧き上がり、40歳過ぎに思い切って人生の大勝負を打つ決意を固め、20年間勤めた高校をはなれた。

業家時代

「起業家」という世界に飛び込み、塾経営、弁当屋、宅配業等、様々な仕事をしたが、約10年間、52歳頃まで何をやってもうまくいかず、人生2回目の大きな挫折を経験した。
本当に辛く、しんどい10年間であった。その時、いかに教師として社会人経験を積んだと言えども、まだまだ未熟であった自分を振り返りながら、自分自身、考えも甘く、世間知らずで、「裸の王様」であったことを痛感しながら反省の日々を過ごした。しかし、この10年間は、ある意味、家族を路頭に迷わせたくない思いも強く、がむしゃらに頑張り続けた日々でもあった。妻と子どもたちには、文句ひとつ言わず、信じてついてきてくれ、私の心の支えになってくれていた。感謝と同時に、「愛」という意味や重みを身にしみて感じることができた、大切な時間でもあった。
その後、子どもたちが社会人となるタイミングと、「清掃業務」がきっかけとなり、突然、神様が振り向いてくれたように運気が流れ込み、2018年に改めて法人化し、起業した【株式会社 フェニックス】には、その名の通り、自身の人生を振り返り、自身の人生哲学の思いも込めて命名した。

式会社 フェニックス

2018年5月に設立、賃貸マンションの退去立会い代行、原状回復工事からスタートし、その後、【合同会社OneClover】を設立、障害者就労支援の業務を始めることとなった。また今年度からEC事業・メディア事業・コンサルティング事業・システム開発事業、そして「eスポーツ」事業を立ち上げ、現在は、カンパニー制で様々な事業を行っているが、将来は事業部制という形で社内の人材を育てながら多様な人々の能力を最大限活かしていける「夢のある会社」を目指していこうと考えている。

株式会社フェニックスとは

『夢のある会社』をつくりたい。

これまでの障害者就労支援等の事業だけではなく、現在は、「eスポーツ」の関連業務に力を入れております。「eスポーツ」を通じて弊社が目指すこと。それは、テクニカルで情熱的な人材を育て上げ、世界に羽ばたくプロチームを育てて行くこと。また、障害者施設、デイサービスや老人ホーム等高齢者施設で「eスポーツ」を広げることで、脳機能の活性化や社会的交流の確保が図れると期待しています。更には、「eスポーツ」をきっかけにPC等IT関連に興味を持ってもらうことで、IT人材を育てて行き、プログラミング教室の開催等、国内のIT人材不足解決にも役立たせたいと考えております。

株式会社フェニックス
オフィシャルホームページはこちら

オフィシャルHP

教育者としての教育哲学について

熱い心、心の教育。

人の心を大切にし、みんながわくわくしながら夢を語れるそんな「心の教育」の伝道者でありたい。

人(起業家)を育てることへの想い(教師経験の視点を活かして)

『諦めなければ夢は叶う』
「目標設定」を定め、目標に到達するまでの「努力」と「行動」を、諦めずに最後まで積み重ねていくことにより、『夢』は必ず叶う。叶うと信じ続けていくことが大切です。人生は一回きり、違うと思えば、すぐに修正や方向転換をすればよいだけです。

『失敗した経験を宝と思う。』
それを、私とお付き合いしてくれている皆様にお伝えできれば嬉しく思います。

『行動あるのみ』

これからのビジネス展開における
ビジョンについて

日本初ともいえる「eスポーツ」と「結話力®️(たいわりょく)」の融合を目指します。
ITを駆使した新しい分野の開拓とコミュニケーション力の育成。
つまり、今までにないモデルの新しい形の「就労支援」に挑みます。
異次元の「就労支援事業」を追求し、利用者の皆様方に、自信を持って社会で活躍してほしい。そんな思いで私自身も起業家として起業家マインドを大切にしながらあらゆる分野で、果敢に挑戦していきたいと考えております。
また、将来の『夢』として、自社のビジネス展開のみならず、政治家挑戦も考えております。ビジネスでどうしても解決できない課題に対し、民間の活力を最大限活かし地域経済の活性化策にも貢献し日本を元気にしていけたらとも考えております。

決意表明

「起業家を育てお互いに支えあえる社会を育てる」

教育者として、これまでの人生経験を活かし、ご縁をいただいた皆様に、少しでも楽しんで笑顔でやりがいのある仕事ができるような「環境づくり」と、「人材づくり」に励んで参りたいと思っております。人生は一回きり。悔いの残らないように、これからも全力で、皆様に喜んでいただける島谷達彦であり続けますように努力して参りますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。

島谷 達彦

Profile

島谷 達彦

誕生日:1964年5月11日 血液型:B型 
和歌山県和歌山市出身

昭和58年3月

和歌山県立和歌山北高等学校 卒業

昭和62年3月

日本大学 文理学部 体育学科 卒業

昭和63年4月

大阪で高等学校 保健体育教員就任

平成30年5月

株式会社フェニックス設立

令和3年4月

合同会社One Clover設立

活動実績

1988年に高校教員就任と同時に、テニス部顧問に就任。就任3年目には、大阪府大会、近畿大会にも出場。10年目より退職までの10年間、「個人」を中心に全国大会にも出場、「団体」でも国体で全国2位を記録。

資格・趣味・家族

資格

・中学校高等学校教諭一種免許状(保健体育)

趣味

・人間教育

お気に入りのアイテム

お気に入りのアイテム❶

人生で落ち込んだとき、最も勇気づけられた『相田みつを』さんの言葉です。デスクの目に入る場所で、自分を励ましております。

お気に入りのアイテム❷

『夢をかなえるゾウ』
夢をかなえるためには、近道はない。地道にコツコツ努力していくことを常に心がけなければならないと、強く心に響きました。

『夢をかなえるゾウ』

座右の銘

『失敗は成功のもと』
『前進あるのみ』

島谷達彦へのアクセス・お問い合わせ

住所:大阪府和泉市観音寺町844-1(株式会社フェニックス内)
TEL.0725-46-0008 FAX.0725-46-0080

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