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髙屋三佐江記念館

12th プロジェクト

「みんなでD.L.Aを創る会創始者。(異業種交流会)」
DLA(Dot-Line-Area)プロジェクト

~人生の集大成として起業家の志をかたちに。皆様とのご縁を大切にしながら地域経済の活性化を~

~可能性の追求~

【D.L.A】を創るにあたり、ご挨拶を申し上げます。
人生を振り返ったときの道程を少しでもともに分かち合い、
会に属することの喜びを味わっていただきたいという思いから、発足をいたしました。
通過点ではなく、スタート時に戻っていただき、
『点』と『線』による『面積』の構築を楽しみながら、人生を歩みましょう。

河内和夫物語

誕生~社会人になるまで

昭和22年8月13日に、泉大津市内で弟、妹の3兄弟の長男として生まれました。当時の泉大津市は織物、毛布の町で、父親は工場の電気工事関連の仕事をしていました。両親は仕事で忙しかったため、市内の親戚の家で、小学校卒業まで過ごしました。その時代は「親の愛」を感じることができずに育ったこともあり、軟弱な子どもでした。
中学に入学してからは、ビー玉、鉄ゴマ遊びをしたりして、同級生たちの興味を引き、遊びの場では、自然に友達グループのリーダー格に育っていきました。このころから、人が喜びそうな新しいアイデアや工夫など、人とは違った考え方が頭に浮かぶようになり、創造性やリーダーシップも芽生えたきっかけであったかもしれません。
高校は、「だんじり」が好きだったこともあり、岸和田城や柔道会館の「心技館」に近い高校に行きたかったのですが、諸事情により他の高校に進学しました。高校時代は、勉強以外ではテニス、卓球、そして最終的には体の鍛錬のため、柔道(2段)に打ち込みました。
その頃から、約3年半の間、自己研鑽の日々が続くことになり、大学への勉学や、放浪によるいろいろな体験をすることになりました。この経験は、残りの人生で「見返したい」という気持ちが芽生え、諦めずに頑張る下地ができた大変貴重な時間であったと思っています。

社会人として

①大手電器メーカー 営業時代(2年間)
営業補佐としてのご縁を頂いて入社し、同年代の仲間中心に、大阪ミナミの宗右衛門町のダンスホールで、よく歌って、飲んで、踊り、楽しい時代でもありました。
仕事では、お取引先の電気店のご協力も得ながら、「第2次カラーTVブーム」の火付け人として、普及に力を注ぐことができました。営業方法としては、お客様に現物のカラーTVを「1週間のお試し期間」で、カラーTVの良さを見てもらうという営業方法で、全国の社内新聞にも紹介されるほどの、当時としては斬新なアイデアで、売り上げることができました。このときの成功体験は、やり方と工夫次第では、「物は売れる」との経験を得ることができました。
また、パナソニック創業者松下幸之助氏の「幸之助イズム」を学ぶ機会があり、それは、現在の自身の営業哲学である『適正利潤』を追求するというコンセプトを導く上でも、大変貴重な経験でした。

②大手電機メーカー 営業職時代(2年間)
主に、問屋に注文を取りに行くという営業でしたが、このころは退社後の会社設立のための準備金を貯めることを目標に、ひたすら業務をこなして頑張りました。

③『三光システム株式会社』(10年間)
念願の一国一城の主として、株式会社を設立しました。当時としては、画期的な電気受電装置を作った父親の背中を見て育ったためか、電気関連の中でも弱電ともいわれている「通信」を主とする会社を設立しました。「後から後悔しないように、いま何かをやろう」という考えは、このころに生まれました。
事業内容は、当時の電電公社より回線を借り受け、「東京―大阪」間の通信費の引き下げを目的とするシステムを立ち上げました。その後、電話機のレンタル制度をリース制度に切り替える事業を展開し、売り上げ、利益は、人生の中でも最大級となりました。
しかし、信頼していた社員に裏切られ、会社を清算することとなり、独立・起業してはじめて、マネージメントの重要性を痛感しました。

④建築関連会社と資格の取得期間(2年間)
次は「建築」の会社を立ち上げたいと考えて、建築関連企業の営業職に就職し、建築、塗装の基礎を学びました。また、今後必要となる建築関連の資格等も、この期間に勉強をして、取得しました。
年間5億円を売り上げ、トップセールスマンになることができ、社長の強い慰留もありましたが、「もう一度起業したい」という強い思いが勝り、建築会社を起業するノウハウを学べたというタイミングもあり、退職いたしました。

⑤『KAZコーポレーション』(11年間)
退職後、具体的な事業計画があったわけではありませんでしたが、あるお店で妻との出会いや、また元職の仲間と当時の電電公社和歌山局の管理職の方にも、事業参加のお声かけを頂きまして、大阪市西成区岸里に一室を借りて、「総合建築」と「介護目的の住宅改修」の新会社を立ち上げました。
介護需要の高まりにより、介護関連事業を専門とした業務内容の増設のため、1997年に、『株式会社 アスコン』を関連会社として創設しました。

⑥『株式会社 アスコン』(1997年設立)
最初は、『KAZコーポレーション』の建築の下請け会社としてスタートしましたが、2000年の「介護保険制度」開始により、大手介護事業社との取引が増え、手すりの取り付け等の住宅改修とともに、「福祉用具」(車椅子等)の需要も、2005年頃まで順調に伸び続けました。
現在は、「福祉用具」の一部製造と販売を中心に事業展開をしており、リーズナブルで機能的なベッド「ジャンティ」の開発により、ご好評をいただいております。

⑦『有料老人ホーム「いこいの森」』(2009年11月設立)
利益追求のための「老人ホーム」ではなく、人生の大先輩であるご高齢者に、本当の「憩い」と「安らぎ」を得て欲しいとの願いを込めて設立しました。
「桃源郷」を彷彿、連想していただきたいとの願いも込めて、200坪の【庭園】をつくり、四季折々の花や木を見ながら、また、畑での作物づくりにも力を入れ、種蒔きから収穫までのお手伝いをいただき、それを召し上がっていただくことで、人生を振り返ってもらいたいとの願いを込めております。

⑧『みんなでD.L.Aを創る会』(2021年設立)
これまでの人生を振り返ったとき、人も社会も、「点」が集まって「線」になり、「線」が集まって「面積」になれば、大きな力となることを経験的にも感じており、会社事業としてではなく、 多様な経歴を持った方々に「顔合わせ、心あわせ」の場を提供させていただくことで、社会貢献ができればと思い、立ち上げました。
「D.L.A」は、【D(dot)「点」、L(line)「線」、A(area)「面積」】の頭文字です。

「起業家・河内和夫」の考える
起業家マインド

「基本に戻る」と「基礎固めをする」

①「基本に戻る」…「建築」関係にも勤めてきたことで、「基本」に戻ることがいかに大切かを痛感しています。
②「基礎固めをする」…会社を立ち上げる上で、必要不可欠と考えています。

株式会社アスコンとは

人生の集大成としての会社

これまでの集大成として、「0から1」を作り上げる感覚で立ち上げました。河内和夫の「人生の集大成としての会社」の位置づけです。ただし、創業者の河内和夫は取締役会長として、妻は代表取締役社長の二人三脚で力を合わせて経営しております。
今後、更なる「施設」の増設等も考えております。

株式会社アスコン オフィシャルホームページはこちら

オフィシャルHP

住宅型有料老人ホーム
「いこいの森」とは

どこにもない、存在感のある憩いの場所

当施設の特徴は、【庭園】です。利益追求のための「老人ホーム」ではなく、『いこいの森』の【庭園】には、本当の「憩い」と「安らぎ」を得て欲しいとの願いを込めております。
「安らぎの場」が、施設の敷地の半分を占める【庭園】として表現されています。【庭園】の花、水、鳥、草木等を眺めながら、ご利用者様の皆様には「人生」を振り返って欲しい。そして、ご家族の皆様にも良い思い出として、ご利用者様への感謝の想いを抱いていただけるようにも、イメージさせていただいております。

これからの
ビジネス展開におけるビジョン

これからもやれる限りのことは全うする

更なる「施設増設」と、「多機能ベッド『ジャンティ』の拡販」を目指したい。

有料老人ホーム「いこいの森」

現在のご利用者様は13名ですが、【庭園】もよく見える駐車場の2階にも、更に15名のご利用者様用のお部屋を作りたいと思っております。あくまでも【庭園】がコンセプトの中心であり、更なる「施設」の増設等により、より多くのご利用者様に、人生を振り返りながら、「憩い」と「安らぎ」を得ていただきたいと考えております。

株式会社 アスコン

【庭園】の延長として、1人でも多くの方に、「憩い」と「安らぎ」を提供したいとの思いより、リーズナブルで機能的なベッドの開発に行き着ました。ご好評を頂いております多機能ベッド「ジャンティ」は、諸事情により施設等の入所が難しい方々に、少しでもお体のご負担が少ない「電動ベッド」として開発され、これからも、より多くの皆様にご提供させていただきたいと思っております。

「みんなでD.L.Aを創る会」

創設のきっかけ

私のオフィスの壁に、人生の集大成に対して感じたことをメモした紙を貼ってありました。2021年4月頃にご来社された「D.L.A」創設発起人でもある川戸氏がこの言葉を世に広めるために、会を創って仲間を集いましょうとのことから、同年7月に準備を重ね、発足いたしました。
発足会は同年11月22日、登録者数29名のうち、24名の参加で盛大に行われました。

顧問として一言

『みんなでD.L.Aを創る会』を、誇りを持てる会としていきたい。
『みんなでD.L.Aを創る会』に入っていることが誇りであると思われるようにしたい。その努力の一つが新聞の発行であり、今後も継続し、より一層、充実した内容にしていきたい。
また、「建築」と「物づくり」の経験から、「基礎づくり」をしっかりとやっていき、「後継者づくり」の教育、育成もやっていく。最後に、後で誰もが後悔することのないように、個人、地域、ビジネス、生き様等、「人と人のつながりを活性化する会」としていきたい。

「みんなでD.L.Aを創る会」に対する想いと決意表明

【「峠」を越えればまた「峠」】という標語があるように、人生において目的達成のための道程は決して平坦ではない、いくつかの厳しい「峠」を幾度となく、繰り返して越えなければならない。
【D.L.A】は、その峠を一人ではなく、皆様と一緒になって楽しみながら、時にはゆっくりと、そして一服しながら越えることにより、目的を達成していただくことをここに決意いたします。

詳細はこちらをご覧ください

河内 和夫

Profile

河内 和夫

生年月日:1947年8月13日 血液型:O型 
大阪府泉大津市出身、在住

1970年

大手電器メーカー(2年間勤務)

1972年

大手電機メーカー(2年間勤務)

1974年

三光システム株式会社(10年間経営)

1986年

KAZコーポレーション(11年間経営)

1997年

株式会社アスコン(経営、現在まで)

2009年

いこいの森(経営、現在まで)

活動実績

・三光システム株式会社設立・経営(1974年から1984年)
・KAZコーポレーション設立・経営(1986年から1997年)
・株式会社アスコン設立(1997年から現在)
・有料老人ホーム『いこいの森』設立(2009年11月から現在)

資格・趣味・家族

資格

・建築関連の資格(例:増改築相談員等)
・介護関連の資格(例:福祉遊具相談員等)

趣味

・ドラム演奏
・歌うこと
・短歌づくり

座右の銘

①『可能性の追求』

限界を決めずに、挑戦をする。

②『自信己愛(じしんきあい)』

自分を信じることができない人は、相手を信じることができず、
己を愛することができない人は、人や仕事を愛することができない。

河内和夫へのアクセス・お問い合わせ

有料老人ホーム「いこいの森」
住所:大阪府岸和田市箕土路町2丁目20-7
TEL.072-440-0081 FAX.072-440-0080

本社(株式会社 アスコン)
住所:大阪市西成区岸里2丁目23-3大塩ビル2F
TEL.06-6658-1255 FAX.06-6658-1066

携帯電話:090-1154-8165

『河内和夫』の 『DLAプロジェクト』チャンネル
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