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髙屋三佐江記念館

19th プロジェクト

「一緒に哲学を学びませんか。」
哲学者『前河内一浩』プロジェクト

~「人生に無駄はない」という言葉を大切に、『哲学』の力で皆様を元気にしていきたい~

「共に支え合う社会を目指して」

はじめまして。私は、前河内一浩と申します。
皆様も同じだと思いますが、私も紆余曲折の人生を歩んで参りました。
私自身、若いときの挫折体験で、読書により培われた「哲学」により、
ようやく「これまでの人生経験は決して無駄ではない、無駄にしてはいけない」との思いに至ることができました。これからは、いろいろな皆様と出会い、そして共に学べる機会を増やすことで、
『哲学』という分野で研鑽を積み、長年の願望である『哲学者』としての道を、極めて参りたいと思っております。
共に支え合う社会を目指して、様々なことで悩んでおられる皆様と一緒に学び合い、
仲良くしていただけましたらと思っております。
今後とも、よろしくお願い致します。

哲学者『前河内一浩』の人生の振り返りと
これから活躍する若者の皆様に対するメッセージ

前河内哲学勉強会・研究会についてのお知らせ

ご関心のある方は、
お気軽にお問い合わせ下さい。

080-4822-4252(担当:前河内)

前河内一浩物語

少~学生時代

1965年7月8日に兵庫県神戸市で、3人兄弟の長男として生まれる。祖父母を中心とした家業(お風呂屋)を営む大家族の中の初孫として、アットホームな環境で育った。当時の記憶は、阪神工業地帯が近いための鉄粉のにおいと、数字に強い興味を持って車のメーターやナンバーを紙に書き写していた子ども時代である。5歳のときに、神戸市から明石市に引越し、祖父母と両親は引き続きお風呂屋を営んだ。

小学校時代
積極的に校庭で遊んだりするタイプではなかったが、人に好かれやすい穏やかな人柄であったためか、小学4年生頃までは副委員長等に推されることもあった。スポーツは、小学3年生のときに巨人軍の長嶋選手と王選手が活躍されていた影響で、「野球」が大好きになり、町内会のソフトボールチームに入り、休みの日は友人と近くの公園で、遅くまで野球を楽しんでいた。

中学時代
全生徒が部活に入部する流れの中、もともと文化部系の人間のためか、特にやりたい運動部はなかったが、たまたま先輩がおらず、練習が厳しくない「軟式テニス部」に入部した。勉強は、入学時のテストで学年トップとなり、数学と理科に関しては、卒業時までトップクラスであった。その他では、中学2年生のとき、社会現象ともなった「インベーダー・ゲーム」が大流行し、友人とゲームセンターに入り浸ったことも楽しい思い出である。

高校時代
地元の県立明石南高校に進学、部活と運動に関してはあまり関心がなく、友人に誘われて1学期間だけ「バスケットボール部」に在籍した。帰宅部となってからは、中学3年生時に叔父よりいただいたビートルズのカセットテープがきっかけで好きになっていた「音楽鑑賞」が、アイドル・洋楽ブームと、当時流行り始めたレンタルレコード業とも相まって、それが学校生活以外の楽しみとなっていた。勉強は、中学時代に得意であった数学がいきなり赤点を取る成績であったが、2学期以降は奮発し、理数科目だけではなく総合成績でも、卒業時までに常時学年トップ10に入るようになっていき、高校2年生のときには学年トップも経験した。

大学時代
県内トップの神戸大学を目指していたが、共通一次試験で思うような点数が取れず、現役進学を望んでいる中、似た希望学科があった大阪府立大学(現大阪公立大学)の工学部に合格、進学した。アルバイトは、大学3年時に下宿をはじめるまでは「家庭教師」、残りの2年間は、コンビニエンスストアーにお世話になり、特に、同年代のバイト仲間との深夜勤務が、当時は刺激的で楽しく、これまでの大人しい人生経験に対して、新鮮な感覚を体験することができた。大学4年生のとき、就職か進学かで悩んだが、2年間しっかり基礎を固めて就職しようと思い、大学院進学を選択した。

大学院時代
これまでの遅れを取り戻すという焦りと、それまでは勉強に集中すれば結果が伴って来ていたこととのギャップに悩み、自分の能力の限界を感じることとなり、はじめての大きな挫折を味わうこととなった。茫然自失状態となる中、籍だけは残すものの、大学院中退までの約5年間は、実質的に「引きこもり」の状態となった。

学院時代+家業[浴場業](6年間)

大学院の残り5年間と家業1年間の約6年間は、『哲学者 前河内一浩』を形成する上で、基礎となる時代である。「引きこもり」は、経験した本人にしかわからない、非常に厳しい状況で、特に男性は経済力を求められるため、その足がかりとなる新卒入社の機会を失うことにもなり、時には凄惨な犯罪の引き金にもなりかねない。私は、「本」にしがみつくことで、心のバランスを取ろうとした。最も効果的だと思ったジャンルは、「哲学」と「文学」、そして自分自身の精神状態を知りたいための「精神医学」であった。
アルバイトもできない状態が約2年間続き、自宅と地元や大学の図書館が中心の生活となり、社会人として成長している友人たちに引け目を感じながら、「人間と社会」を究明する思いで、直ぐには理解できなくとも「哲学」と「文学」等の世界にのめり込んだ。
1990年12月、原付で大きな事故を起こし、入院生活が100日間、その後もリハビリ生活を続けることとなったが、結果的に、このことがきっかけとなり、回復とともに新しい友人も増え、「本」だけの生活から抜け出すことができた。休日には、ボーリングや草野球にも誘われるようになり、笑顔と明るさも取り戻すこともでき、それは数年後の社会人人生のはじまりにも繋がっていった。

会人時代

①明教塾学習塾講師(6年間)
29歳となっていた 1994年12月、同年の友人より「個別指導型学習塾」の講師の誘いを受け、機も熟していたのかそれほど迷うことなく承諾し、翌年1月より学習塾講師としての社会人人生を歩むこととなった。進学型ではなく補習型の学習塾であったため、受験時代の勉強だけでも当面は仕事を続けることができ、実質6年続いていた「引きこもり」を脱することがでた。しかし、この時代は20代の「引きこもり」時代の影響が時折り現れ、突然の出勤拒否等で、塾長や一部の生徒には大きな迷惑をかけてもいる。現在では、「うつ病」の社会的認知度と許容度は高くなっているが、人には人生経験等により様々な歩みがあり、常識だけで人を判断しないことを学んだように思う。
2000年8月、当時の明教塾播磨町教室の教室責任者より責任者引継ぎの以来を受け、それまでの授業スタイル等が気に入っており、2ヶ月程迷ったが、引き受けることに意味があると決心し、同年11月より同塾播磨町教室のフランチャイズ経営者となった。

②明教塾播磨町教室経営者(6年間)
塾経営者となったことで、責任とやりがいを感じながら、まずはこれまで通りに子どもを直接教えることに専念し、アルバイト講師を雇うことで授業全般の充実をはかる等の経営面のことは後回しにしていた。このやり方を見直さなかったことにより、経営者として5年目の頃、生徒減少期を乗り越えて回復基調にあった学習塾経営が閉塾に繋がったのだと、後日理解した。「経営」は思いと熱量であるとともに、様々な角度から見つめていかなければならないものだと気づき、反省した。

③明教塾学習塾講師[再任](9年間)
2007年3月に教室を閉塾、別教室の時間講師を再度担当することとなった。前年に父親の死去があり、この年の10月には母親が大病を患うことで家業(浴場業)も廃業、一時的にでも、これまでの支えを全て失う感覚に陥った。そして、時間講師以外にもポスティング業や期間限定業務、日雇い派遣業務等、様々な業務・仕事に携わり、塾講師経験だけだはわからない世界を経験することで、再起の機会を待った。またこの頃、「哲学」「文学」とは直接関係はないが、「精神世界」「宗教」に対する関心も深めており、複数のセミナー等にも参加していた。
2012年3月、当時、大阪市長でもあった橋下徹氏が塾長を勤める『維新政治塾』と出会い、橋下塾長の存在感と熱意に衝撃を受け、改めて「政治」の力と素晴らしさを目の当たりにし、その影響は現在にまで及んでいる。仕事をしながらも、『第2期維新政治塾』(2014年)等にも入塾することで、2015年統一地方選挙の頃までは立候補を目指し、「政治」の学びを続けていた。

④株式会社ヒューマンドリーム社員 (3年間)
2015年の1年間、「政治塾」を主催され、お世話になっていた「かわとやすし」さんと、これからの仕事と政治についてご相談させていただく機会を得て、2016年3月より介護職員兼秘書として働くことを決意した。当時は「政治家」の夢も捨てられず、また自らも将来は介護される身であるとの自覚と、高齢社会日本の現実を体験的に知る機会でもあるとの思いも、その後押しとなった。同年6月頃より、突然、マルクスの『資本論』で彼が言いたかったことの一つが理解できた感覚に陥り、それは眠りかけていた『「哲学」への希望』が、現実的な力となって復活した体験でもあった。 また、2018年の秋頃にも、哲学史上におけるアリストテレスとカントの重要性に気づき、西洋哲学史全体を見直しながら、『近代』を「哲学」の側から乗り越えるという、現在の私のメインテーマを決定づけることとなった。
同じく2016年3月より、大病院の介護職員として働くこととなった。これまで家事全般を強く意識しての生活ではなかったので、仕事の手順、流れをマスターするには時間を要したが、最初の半年で「介護職員初任者研修」(旧ヘルパー2級)を取得、次第に「おむつ交換」等のヘルパー業務にも慣れ、コミュニケーションも取れるようになってきた。しかし、取得目標としていた「介護福祉士」の受験資格となる3年の勤務経験を前に、軽度ではあったが「パニック障害」に陥り、介護職員の継続と資格取得は諦めることとなった。

⑤かわとやすし事務所秘書(2016年3月~現在)
上記の介護職員就任とともに、政治家を目指される「かわとやすし」社長の私設秘書を兼任した。2016年12月、「かわとやすし」さんの総支部長就任後、本格的に「駅立ち、ポスター貼り、ポスティング業務」等の政治活動に、介護職員を兼務しながら秘書として参加した。
2017年10月の衆議院総選挙では落選されたが、2019年6月に再度総支部長に就任され、2021年10月の衆議院総選挙まで、専属秘書として、「かわとやすし」さんの傍で政治活動、選挙活動をさせていただいた。
現在も引き続き、次の選挙に向けて準備、活動をされている「かわとやすし」さんの専属秘書という立場をいただきながら、新規事業のサポート等も兼務させていただいている。

「哲学者・前河内一浩」の考える
哲学とは

一般に、「哲学」は人生哲学という言葉もあるように、倫理学、人生論等との関係で、「どのように生きるか」「どのような方針でやっていくのか」と考えられることが多いように思われます。
しかし、私自身は、「哲学」はロゴス(言葉、論理)を活用して、世界や人生の究極の根本原理を客観的・理性的に追求する学問という、最も厳格な定義で考えております。現代では、自然・人文・社会諸科学等とも密接な関係をもち、様々な経験を統合し、基本的観点をつくる知的な努力と考えております。

自身の哲学に対する思い

私自身、大学入学後より学習塾講師となる30歳頃まで、また40歳を過ぎる頃より現在までも、社会の荒波の中で悩み苦しむことが多かったですが、そのときに私の支えとなってくれたのが『本』であり、特に「哲学」でした。若い頃は、そのような「言葉で表現された世界観」に慣れ親しむだけで、満足しておりました。
現在、社会はより複雑化、グローバル化しており、環境問題等の様々な社会問題が噴出しております。
若い頃のように、「哲学」を自分だけの慰めと支えとするのではなく、更により多くを学び、少しでも多くの皆様との対話やSNS等を通して一緒に学ぶことで、私自身の成長だけではなく、少しでも多くの皆様に「哲学」に興味を持っていただき、皆様の心の支えとなっていただけましたら、嬉しく思います。

これからのビジョンについて

2022年の現在、コロナ禍やウクライナ紛争、物価上昇等の世界規模の問題が出現し、私のみならず、これからの社会に対して大きな不安を抱いている時代となっております。産業革命後から約300年の「近代」、及び資本主義社会の矛盾等が露呈しているともいえ、哲学の側からも、改めて「デカルト、カントからヘーゲルまで」の「『近代哲学』の乗り越え」の必要性を感じております。
堅苦しいお話かもしれませんが、政府も政策理念のひとつに「新しい資本主義」を挙げておりますが、個人的にはマルクス『資本論』の読解、解読を軸に、理論上での「資本主義」の分析等を通して、その長所と短所を把握し、これからの社会の「新しい枠組み」を、哲学的、社会学的に構築、表現することが急務と考えております。
現代においても、「哲学」に救いがあるのだとすれば、人類は「哲学」とともに歩んできているとの個人的な認識より、これまでの「哲学」を流れとして把握していくと共に、上記のように、「近代」の枠組みを越える新たな地平、『枠組みづくり』を行うことだと思っております。

今後の目標と夢

少しでも多くの皆様と、直接お会いできる会やイベントを主催し、更には、SNSでのコミュニケーション等も増やしていくことにより、より多くの皆様が「哲学」の楽しさと意義を理解し、様々な場面で「哲学」を活用していただけるきっかけを提供していき、私自身の希望でもあります「共に支え合える社会」を、一緒に考える仲間を集うことができましたらと思っております。
また、個人的にはハードルは高くても、約300年続いている『近代(哲学)』の「枠組み」を越えるような「新しい哲学」を提示できるように、日々の研鑽と努力を重ねて参りたいと思っております。

決意表明

紆余曲折の人生を歩んで参りましたが、これまでの経験を生かし、「勉強会」や「研究会」を主催させていただくことで、皆様との出会いと対話を増やすことにより、「哲学」の楽しさと意義を共有させていただきたいと思っております。
更に、日々の研鑽を重ねることにより、宿願の「新哲学」の構想構築に邁進して参ります。

法常 博

Profile

前河内 一浩

誕生日:1965年7月8日 血液型:A型 
兵庫県神戸市出身

昭和59年3月

兵庫県立明石南高等学校 卒業

昭和63年3月

大阪府立大学工学部 経営工学科 卒業

平成5年9月

大阪府立大学大学院工学研究科 経営工学専攻 中途退学

法常 博

職歴

・家業[浴場業](1年間)
・明教塾学習塾講師(6年間)
・明教塾播磨町教室経営者(6年間)
・明教塾学習塾講師再任(9年間)
・株式会社ヒューマンドリーム(3年間)
・かわとやすし事務所秘書(2016年12月~現在)

活動実績

・第1期維新政治塾卒塾(2012年)
・第2期維新政治塾卒塾(2014年)
・民進党衆議院大阪府第18区総支部長かわとやすし事務所秘書
(2016年12月~2017年10月)
・立憲民主党衆議院大阪府第18区総支部長かわとやすし事務所秘書
(2019年6月~2021年10月)
・第2期京都維新政治塾卒塾(2022年)

資格・趣味

資格

・1976年 珠算(2級)
・1977年 書道(4段)
・2013年 数学検定(準1級)
・2013年 語彙・読解力検定(準1級)
・2016年 介護職員初任者研修取得

趣味

・読書
・旅行
・カラオケ

お気に入りのアイテム

[左]『論理哲学論考』(L.ヴィトゲンシュタイン著:1921年刊)
[右]『存在と時間』(M.ハイデガー著:1927年刊)
【20世紀最大の哲学書】の双璧ともいわれております。

座右の銘

『人生に無駄はない』

前河内一浩へのアクセス・お問い合わせについて

〒592-0014 大阪府高石市綾園7-3-35 櫛谷ビル2F 株式会社スタープロジェクト内
TEL.080-4822-4252

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