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22nd プロジェクト

あらゆる悩みを抱えたお客様の心を受け止め、新たな人生の再出発をお手伝いする、
そんな身近な『町の不動産屋さん』として寄り添いたい。

『假屋真吾』のワン・ステップ不動産プロジェクト

2012年(平成24年)に『出会いは奇跡』ののぼり1本を掲げ、
大阪市東淀川区、上新庄において株式会社ワン・ステップ不動産を設立致しました。
私自身、紆余曲折の人生の中で、お互い様に助け合うことの重要性や、
お一人お一人との出会いを大切にすることの重要性を強く感じて参りました。
その中で行きついたのは、現代社会において人々が生活する上で生活の基盤となるのは
『住む家』や『車』ではないか、どんな状況に置かれている人でも気楽に相談しやすいそんなお悩み相談所こそが、
不動産屋さんが担っていくべきではないのかと考えるようになりました。
弊社は不動産会社ではありますが、自社内に「お悩み相談窓口」を設置し、
不動産以外の生活上の悩みをお聞きしたいと考えております。
まずは、本当に困っている方々のお話をしっかりと聞き、どんな生活上のお悩みに対しても、諦めずに、
その課題を解決することを前提としたものの考え方で、できるだけ多くの皆様のお役に立ちたいと考えております。
弊社は、常に学び続ける企業を目指し、
「出会いは奇跡」を合言葉に実現可能をモットーに一人でも多くの皆様のご要望にお応えしながら、邁進して参ります。
今後とも皆様の更なるご指導ご鞭撻を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。

起業家『假屋真吾』の人生の振り返りと
これから活躍する若者の皆様に対するメッセージ

カルノリレンタカー奈良大和郡山店

オフィシャルHP

假屋真吾物語

少~学生時代

幼少時代
1973年3月18日、鹿児島県鹿児島市に3人兄弟の三男として誕生した。
父親は住宅供給公社に勤める公務員であった。兄弟3人、おやつの取り合いやお年玉のことでケンカもしたけれども、基本的には兄弟仲にも恵まれていた。親の躾の中で「年長者や兄に逆らうな」との教えの下で育ったため、三男として我慢を強いられることも多く、性格形成の上でもその教えは、大きな影響を受けたように思う。
幼少期の記憶としては、土日は必ず両親とともに祖父母の実家に帰り、私が高校生の頃には祖父母と同居し、最後を看取る優しい両親の下で成長した。

小学校時代
小学校時代は、基本的に大人しい子どもで友人にも恵まれていた。通学は片道3kmあり、徒歩で通学をしていた。早めに家を出るようにしていたが、道端で虫や動植物を眺めながら歩いていたためいつも遅刻していた。基本的にはマイペースでおっとりしている性格で、今振り返ると自分なりのやり方にこだわる性格を現していたように思う。
勉強には全く興味はなく宿題もせず、テストで0点を取ることもあった。スポーツは兄の影響で、小学校の6年間は空手に打ち込んだ。当時は相撲や野球に関心を持っていて、地元鹿児島出身で大関にもなった若島津関や霧島関が活躍していた影響で、友人と砂場で相撲を取ったり、野球も友人と近くの公園で遅くまで積極的に楽しんでいた。
また、ゲームセンターに通っていたときもあった。記憶を辿っていくと、空き瓶を集めて酒屋さんに売って、そのゲーム代を稼いでいたこともあった。

中学校時代
仲が良かった友人が塾に通い始めた影響を受け、親にお願いして塾通いを始めることとなった。小学校の頃は平気で0点を取ることもあったが、塾通いの影響で最初の中間テストの順位が、600人中100位以内に入り、勉強の楽しさを知ることができた。特に英語と国語は得意科目となった。最終的には学年全体で、12位にまで順位を上げることができた。
部活はサッカー部に所属し、一生懸命に打ち込んだが、ケガをしたことで部活を途中で辞めることとなった。
3年生になると、塾通いの勉強漬けで高校受験に備えた。成績では上位校に進学できたが、性格上、自分のペースで勉強をしたかったので、県内3番目の鹿児島県立鹿児島中央高校を受験、進学した。

高校時代
高校時代に最も力を注いだのがバンド活動であった。担当はドラム、初心者からではあったが、家で割り箸を使って懸命に練習し、マスターしていった。当時流行っていたロックバンドの「ボウイ」や、パンク系バンドの「ラフィンノーズ」に影響を受けて活動していた。文化祭等で大勢の前で演奏することにより、注目されることの気持ちよさを知った。大人しいながらも女性から注目されることの素晴らしさを、経験できたように思う。
2年生の初めに文系か理系の進路選択があり、友人の影響もあって、直感的に「建築関係」の仕事に興味を感じていたので、理系を選択した。勉強よりもバンド活動中心の高校生活であったので、理系の苦手科目の習得に苦労した。成績も350人中300位以下の成績であった。
しかし、直前の猛勉強の甲斐もあり、現役で国立大学の宮崎大学工学部土木工学科と愛知県の中部大学工学部建築学科の2校に合格することができた。建築学科にこだわったため、両親には申し訳ないと思ったが、最終的に中部大学工学部建築学科を選択、進学を決意した。

大学時代
1年間は寮生活で、大勢の友人、仲間と楽しい生活を過ごすことができた。勉強も順調、1年生の単位は全部取得した。2年生より一人暮らしを始めることとなった。子どもの頃より英語が得意であったこともあり、知り合いの紹介で英会話の訪問販売をはじめることとなった。半年余り訪問販売に打ち込み、一定の成果を出すことで、営業・起業家のセンス、感覚を経験的に学ぶきっかけとなったが、本業の学業に対する興味は薄くなっていた。
このときの体験は、今でも強烈に印象に残っており、その後の営業・起業に活きている。ここでも自分のやり方にこだわることで、友人や両親に大変な心配をかけたが、深く悩み考えた結果、2年生で大学を中退することを決意した。

専門学校時代
大学を中退したことで、実家がある鹿児島に帰り、約2年間、喫茶店等でアルバイトをしながら将来について模索していた。周囲の勧めもあり、手に職をつけるため、歯科技工士の専門学校に2年間学んだ。そこでも友人に恵まれ、国家試験にも無事合格した。

会人時代

① 歯科技工士時代 (1年間)
東京という都会への憧れもあり、東京池袋で生活をはじめることとなる。「歯科技工士」としての道を歩むこととなるが、歯科医院の勤務ではなく、歯科技工所で働く選択を取った。入社当時、技工所の社長からは将来、会社を継いで欲しいとまで言われ、朝昼晩三食付きの勤務環境で、朝早くから夜遅くまで勤務することとなる。
しかし、自分が理想としていた東京での生活と現状とのギャップに悩み、1年間勤めさせていただいたが、将来の自分像がイメージできず退職を決意した。

② 人生模索時代 (1年間)
その後、兄がいる大阪に戻り、今後の人生をどのように歩むのか、大阪大国町の珈琲専門店でアルバイト等をしながら、再度、将来の模索をはじめた。その中で、自分探しの旅をしてみたいと思うようになり、歯科技工士時代に貯めた30万円を使って、ワーキングホリデーを活用して、ニュージーランドへ行くことを決意した。

③ ワーキングホリデー時代 (1年間)
お世話になっていた兄とも相談し、視野を広げるために一度、海外を経験することがよいという決断に至り、ワーキングホリデーを活用してニュージーランドに向うこととなる。このときの1年間は、妻と出会うきっかけとなったこともあり、人生で一番楽しい時間でもあった。
バックパッカーとしても様々な国の同年代の若者たちと巡り会い、ガーデニングやゴルフ場建設等の仕事をしながら、ヒッチハイクやマラソン、読書等、日本では体験できなかったであろう「ゆとりのある生活」も経験することができた。私自身が子どもの頃、3kmの道のりを道端で寄り道をしながら通学していたように、自分のやり方にこだわる傾向があることで、これまでの自分の価値観と社会の価値観の相違で整理できていなかったことが、ひとつひとつクリアーできた大切な期間でもあったようにも思う。

④ 夫婦蜜月時代 (1年間)
ニュージーランドで知り合った女性(妻)が、新潟県の赤倉温泉に住み込んで働きながらスノーボードを楽しむ予定を聞いていた。まだ、ニュージーランドに残りたい気持ちは強かったが、妻の活動的な生き方に対して尊敬する気持ちも強く、日本に帰って妻と一緒に働くことを決めた。
その年の冬のスキー、スノーボードのシーズンが終わり、その後、お互いに実家に帰っていたが、しばらくして妻の実家がある埼玉県で、ふたり一緒に生活するようになった。妻の妊娠、出産のタイミングでより安定した基盤を求めていたが、たまたま兄が大阪で不動産業を新規設立していたこともとも重なったので、兄の不動産会社にお世話になることとなった。

⑤ 不動産会社勤務時代 (12年間)
兄が新規に不動産会社を立ち上げていたので、兄と一緒に経営も携わることになった。最初は4人からのスタートではあったが、その後、最大40名の従業員を抱えるようになり、売り上げも30億円を計上するまでに成長した。
しかし、2008年にリーマンショックが起こり、お客様と契約が取れても土地の購入、家の建築、銀行の借り入れと返済等、資金繰りが厳しい状態が続いた。お客様から逃げることは最悪の結果を招くことを知っていたので、数年間は「お客様には迷惑をかけない」ことに全力を尽くす日々が続いた。その結果、お客様からの最終的なクレーム、苦情はなかった。
その後、リーマンショック後の対応も一段落し、家族を支えるため、お世話になった会社を退職し、自らも不動産会社を立ち上げる一大決心をした。38歳のとき、12年間お世話になった兄の不動産会社を退職、現在の前身となる『株式会社ワン・ステップ』を設立した。

業~現在

① 『株式会社ワン・ステップ』 (1年間)
これまでの様々な経験と知識を整理する期間であり、現在の『株式会社ワン・ステップ不動産』の設立に至るまでの準備期間でもあった。わからないことも多く、大勢の方々より知恵とアドバイスも授かり、死に物狂いの1年間でもあった。

② 『株式会社ワン・ステップ不動産』 (2012年~現在)
これまでの経験を財産に、新たな思いで『株式会社ワン・ステップ不動産』を設立した。
まずは仲介業を中心に、不動産業務を始め、現在は、土地と中古建築物件の買取りを中心に行い、それをリフォームして販売している。
「心と心のお付き合い」をモットーに、これまでの信頼関係を大切にし、「出会いは奇跡」の信念のもと、新たな信頼関係を築き上げていくことを心がけている。業務的には不動産業務を通してお客様のお悩み等に応え、更には、様々な悩みをお持ちの方々の悩みを受け止め、その解決のお手伝いもできる、身近で寄り添う『町の不動産屋さん』として社会に貢献していきたいと思っている。

『ワン・ステップ不動産』とは

『ワン・ステップ不動産』は、代表の私自身が温厚で“ほっ”とするような話し方が安心するとお褒めいただけることもあり、風通しのよい社風が特長です。私も過去に、任意売却の経験を持ち、 “しんどい”と思うような日々を過ごしたことがあります。そのような経験を乗り越えてきているからこそ、いま現在「どうにもならない」とお困りの方に心から共感することができ、想像ではない“リアル”なお話しをすることができます。

売却をきっかけに、一緒に人生の再出発を目指すお手伝いをさせていただけませんか。

住み慣れた家・愛着のある実家などを売ってしまう、というのは大きな決断であり、勇気がいることと思います。しかし、売却は物件を手放すだけの行為ではありません。売却は人生を仕切り直すきっかけであり、不動産にとっても新たな再出発と言えるのです。私たちは、不動産を売り買いするだけの業者ではありません。お客様の人生の再興を、ともに考えるパートナーでありたいと思っています。

『ワン・ステップ不動産』代表として

人はそれぞれ、大切にしたいこと、大切にしていることがあります。私たちは、不動産業というお仕事を通じて、お客様の様々なお悩みを受け止め、最善の解決策をご一緒に考えて参りたいと思っております。
そのためには、まずお客様が「大事にしていること」を明確にするために、とことん話し合うことが大切だと考えます。私たちのやり方は、“勝ちパターン”をお客様に当てはめるのでなく、お客様が本当に実現したい結果に向かうそれぞれの解決策を提示することなのです。

『カルノリレンタカー
奈良大和郡山店』とは

人生において、車を必要とすることは度々あります。景気が大きく上向く流れのない中、必要とされる方に、必要とするタイミングで、少しでもお手ごろな価格で提供できるようにとの思いで、「レンタカー会社」をFC開業、経営しております。

奈良大和郡山店の特徴

魅力❶奈良で唯一の格安レンタカー店!

奈良県内では唯一の格安長期レンタカー店です!
奈良はまだまだ車が必需な県です。以前から地元の方々、県外の方からも近くにレンタカー店がなくて困っているとの要望を頂いておりました。そんなお声にお応えし、長期対応が出来るレンタカーを始めました!
また、県内の観光地へのアクセスにも適した立地にございますので奈良公園、東大寺、平城京跡など旅行の際にもお使いください。

魅力❷店内の内装がオシャレ!

奈良大和郡山店の店内はオシャレな内装となっております!
初めてのお客様でも安心してお過ごし頂ける空間です。

魅力❸スタッフがフレンドリー!

スタッフも親しみやすく、そして熱い気持ちを持って対応致しますので、笑顔が絶えない時間を提供させて頂きます!
奈良でレンタカーを借りるならカルノリレンタカー奈良大和郡山店!!と皆様におっしゃって頂けるよう日々努めてまいります!皆様からのお問い合わせを心よりお待ちしております。

『カルノリレンタカー
奈良大和郡山店』代表として

不動産業務に長く携わるうちに、破産、シングルマザー等、経済的に深刻な悩みをお伺いすることが多くありました。性格的に、「困っている方を助けたい」の気持ちが強いので、その中でも、少しでも安い価格でお車を借りることができるレンタカー屋さんを経営したいと思い、フランチャイズ店のオーナーとして開業いたしました。
お陰様で、リピートしてくださる方も多く、ご好評をいただいております。

「起業家・假屋真吾」の考える
起業家マインドとは何か

私の座右の銘は、【出会いは奇跡】です。私自身もそうだったのですが、できるだけ早い段階で、悩み等を相談できる人、場所に巡り会えば助かる、あるいは助かっていたかもということに度々遭遇いたしました。基本的に、私は「困っている方を助けたい」との思いが強く、お客様やスタッフ、様々な方々と誠実にお付き合いをさせていただく中、「心と心のお付き合い」をさせていただくことこそが、持続可能な人間関係、さらには健全な会社運営にも繋がっていくことを、人生経験を通して確信しております。
商売の上手い、下手にはかかわらず、出会いを生かし、誠実にお付き合いをさせていただくことこそが、大切であると思っております。

これからの人生における
夢・目標・ビジョンについて

妻と一緒に1年間、ニュージーランドに行ってみたい思いがあります。経営がより安定し、後継者の育成やこれまでのお付き合いが一段落した後、私の「原点」ともいえるニュージーランドでの体験をもう一度、妻、家族と一緒に味わってみたいと思っております。
人生の集大成に向けて、【出会いは奇跡】の信念のもと、これからも誠実に、皆様と向き合って参りたいと思います。

假屋 真吾

Profile

假屋 真吾

誕生日:昭和48年3月18日 血液型:A型 
鹿児島県鹿児島市出身

平成4年3月

鹿児島県立鹿児島中央高等学校 卒業

平成6年3月

中部大学工学部建築学科 中途退学

法常 博

職歴

・歯科技工士の会社(1年間)
・兄の不動産会社(12年間)
・株式会社ワン・ステップ (1年間)
・株式会社ワン・ステップ不動産(2012年~現在)

趣味

・ゴルフ

座右の銘

『出会いは奇跡』

假屋真吾へのアクセス・お問い合わせについて

〒533-0005 大阪府大阪市東淀川区瑞光1丁目8-11 [株式会社 ワン・ステップ不動産]
TEL.06-6322-3003

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