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23rd プロジェクト

『副業の総合商社を目指して』
さかなや倶楽部『坂中力』の『さかなや商事』プロジェクト

~観賞魚販売を通じて心の癒しを!! 副業を通じて『生きるチカラ』を伝えたい~

「ビジネスを通じて
誰もが幸せに感じる社会を作りたい」

社会起業家『坂中力』の人生の振り返りと
これから活躍する若者の皆様に対するメッセージ

皆様、はじめまして。私、坂中力と申します。
団塊世代のアナログ人間ですが、時代遅れの「オジサン」にならないように、
常日頃より時代の動向を観察しております。
今、世の中は大変な時代であります。
たった一人の人間で、世の中は変わるのです。だから、一人ひとりの考え方が大事なのです。
人に優しく気持ちの強い人になりましょう!
さて、現実の世の中は、健康的で最低限度の生活を営む権利があると法律でうたわれていますが、
そうではありません。毎日の生活のエネルギーと癒しが大切なのです。
そのために、一人でも多くの人に、喜んでもらえるために、
『さかなや倶楽部』を立ち上げました。賛同していただける方々を募っております。
皆様のお力をお貸し下さい!
よろしくお願い申し上げます。
さかなや倶楽部マスコットキャラクター『りきたん』

坂中力物語

少~学生時代

1949年11月25日、鹿児島県南さつま市に男子ばかりの5人兄弟の末っ子として生まれる。父親は、太平洋戦争で東南アジアに従軍した後、無事に帰国したが、私が生まれる5ヶ月前に他界し、母子家庭で育った。4人の兄は家を出て働いていたので、祖母と母親の3人家族で育った。
母親は、毎日家族のために畑仕事をし、生活を支えてくれた。また、祖母は家事と育児を担当し、兄たちは社会人として働きながら、私たち家族のために仕送りをしてくれていた。家族みんなで力を合わせ、協力することにより、貧しいながらも生活することができた。支えてくれた家族には、今でも心から感謝している。
母親は私が中学2年生のとき、55歳で病気で亡くなった。そして、90歳近い祖母と2人で生活することとなった。運動会でお昼休みのとき、友だちは家族そろって手作りのお昼ご飯を食べていたが、私は来てくれる家族は誰もいないので、とても寂しい思いをした。いとこの母親が一緒にお昼ご飯を食べてくれたが、このときの強烈な孤独感は、本当に辛い気持ちではあったが、立場の弱い人間を守りたいという思いが芽生え、その視点より社会を見るというきっかけとなったと思う。
中学卒業後、就職のために故郷の鹿児島を離れたが、祖母は1年後、5人の孫全員が社会人となって安心したかのように、90歳で他界した。両親の死後、本当に自分自身が寂しいときに、親代わりとなって一生懸命に私を育ててくれた祖母に対しては、今でも感謝してもし切れない思いでいっぱいである。

社勤務時代(定時制高校時代も含む)

①電機メーカー時代 (3年間)
中学校卒業後、兄を頼って大阪に引越し、兵庫県伊丹市の大手電機メーカーに就職した。大手でもあり、給与等の待遇面は良かったが、自分の心の中に、何か物足りなさを感じながら勤務していた。また幼少期の頃より、デザインや物作りにも興味があったので、大手電機メーカーで勤務しながら、夜は大阪市内にある大阪市立第二工芸高校の図案科の定時制高校に進学し、商業デザインを学んだ。そして3年間勤務した後、まず、下積みも兼ねてデザイン会社に再就職することとなる。

②デザイン会社時代 (5年間)
3年間、電機メーカー勤務の後、市内のデザイン会社に就職することとなる。その会社では、商業デザインの見習いをし、主にイラスト、ロゴマーク、カタログ、パンフレット類の作成の手伝いを行っていた。待遇面では、前職の大手会社よりかなり低かったが、夜はキャバレーの店員、朝は新聞配達という副業をしながら、何よりも自分の好きな道であり、将来、独立するんだという夢のために、昼夜を惜しむことなく働いた。真面目に努力してデザインを基礎から学んだ。当時の苦しい生活を経験し、夢のため、生活のために副業は、大変重要な役割を担っていると、このとき実感した。
このときの副業の有難さこそが、現在の『さかなや倶楽部』を設立する原点でもあった。
当時、私の心の癒しは、故郷の鹿児島より大阪に出て働いていた親戚や旧友たちと飲食をともにすることであり、昔話や将来の夢を語り合うことが自分の心の支えであった。
デザイン会社で5年間下積みをした後、26歳のときに自分でデザイン事務所を立ち上げたいという思いが強くなり、独立を決意した。社長、上司からの慰留もあったが、大阪に出てきて、これまで夢を実現するために頑張ってきたという思いが強く、退職することとなった。

業~現在

①『坂中メカニカル』個人事務所 (27年間)
デザイン会社を5年間勤務した後、退職して大阪市上本町に「坂中メカニカル」個人事務所を設立した。会社名は当初、「デザイン」という言葉を入れるつもりであったが、インスピレーションで浮かんだ「メカニック」という響きが気に入り、友人の薦めもあり『坂中メカニカル』という社名にした。
会社の業務内容は、印刷会社や広告会社から依頼される印刷物の原稿を、「写真植字」といわれる方法によって作成することであった。現在のようにパソコンがない時代の作成方法であり、手作業が中心で時間もかかる業務でもあった。売り上げ的には、大きく儲かるというほどではなかったが、以前のように、副業をしなければならないということはなかった。
1990年代の後半、「windows95」の発売以降、パソコンを使った原稿作成が主流となる中、スピードが要求されるとともに値崩れも起こりはじめ、経営の継続が難しくなった。27年間経営してきたが、パソコンの普及による時代変革により、事務所を閉じることとなる。

②『かわち・くらぶ』 (1995年~2019年)
個人事務所の閉所前後、起業と再就職を模索していたが、デザインと印刷物に慣れ親しんでいたこともあり、広告ポスティング業務を中心とする会社を設立した。社名にある「かわち」は、設立前後に大阪府八尾市に住んでいたことと、「河内 = 大阪」をイメージしやすいことにより、仲間と相談して決めた。現在まで、大阪の泉州地域を中心に広告配布を行っている。
ポスティング業務は、基本的に人が嫌がる仕事のひとつでもあるので、紹介や営業活動に努めれば、仕事量は豊富にある。以前のデスクワークとは違い、体力勝負の仕事ではあるが、広告配布中は小旅行気分も味わえる。現実的には、季節・天候に関係なく納期を守らなければならないシビアな面はあるが、仲間たちとケガや病気等の不測の事態にも対応できる信頼関係を築いてきたことで、『チーム坂』と会社名が変更した現在も、スタッフみんなで楽しく運営している。

③『チーム坂』 (2019年4月~現在)
ポスティング業務中心であった『かわち・くらぶ』を、業務拡張により、会社名を『チーム坂』に変更した。
『かわち・くらぶ』は、大手の中間業者からの委託業務といった形で運営していたため、納期や値段等をこちら側から決めることができなかった。10年以上の経験とノウハウ、依頼主等の信頼も得ていくことで、中間業者に頼らない自立した組織へと成長した。社名も名前の一文字である「坂」を入れることで、自分の会社であるという自覚と責任を持たせた。お陰様で、現在まで順調に業績を伸ばしてきている。

④『さかなや倶楽部』 (2023年3月~現在)
ポスティング業務中心からの脱皮として、『さかなや倶楽部』を新たに設立した。「さかなや」から「さかなか(坂中)」へと言葉の連想も浮かびやすく、インパクトもあると思い、命名した。
幼少期よりトンボを追いかけ、カブトムシを捕まえることが大好きで、生き物に対する愛着心が強かった。70歳を越えたこともあり、生き物を捕まえるということではなく、「観賞」することで癒しを得ることの大切さと効果に気づきはじめた。
「観賞魚の販売」を中心に経営しているが、会員制度を導入することにより、より多くの知恵とアイディアを集めて、商品とサービスを充実させるなど、更なる発展を続けている。

『チーム坂』について

前身の『わかち・くらぶ』を発展、解消する形で設立いたしました。『わかわち・くらぶ』時代に、ポスティング業務において学んだノウハウと営業経験を活かして、依頼主の要望と相談しながら、より質の高い提案をデザインの段階等よりさせていただくこともあります。
顧客満足度が日本一高く、リピート率もナンバーワンのポスティング会社を目指して、これからもスタッフ一同、誠意を持って業務に精進いたします。

『さかなや倶楽部』について

観賞魚中心に、世の中に「副業」を広め、人々の癒しと生活レベルアップを目的とする趣旨で設立いたしました。副業によって得られる金額は、最高でも数万円かもしれませんが、それによってどれだけ助けられて来たかを、私自身が身を持って経験して参りました。また、これまでも収入面の問題で数多くの方々が苦しまれ、夢や希望を失って生きている姿や話を聞くことがありました。そのような方々の夢や希望を支えて行けるような「副業」の総合商社を目指して、頑張って参りたいと思います。

『さかなや倶楽部』の社是

・年齢と性別を超えた、人に優しい副業の総合商社を目指しております。
・『人こそが原点であり、宝である』と考えております。

現在は、「観賞魚の販売」を中心に行っておりますが、今後、本格的に「会員制度」を導入いたします。より多くの会員様を募り、皆様の知恵とアイディアをお借りすることにより、より充実した商品とサービス、そして多角的な営業、販売スタイルを築いて参りたいと思っております。

【取扱商品(例)】
オリジナル・グッズ
・キューピー人形
・キーホルダー(帽子、金魚、貝)
・ティッシュカバー
・サポーター(膝用、肘用、股間用)
・商業車エブリ用オリジナルテーブル

生活用品
・歯ブラシ
・歯磨き粉
・石けん
・シャンプー
・焼き塩
・サプリメント各種

少額短期保険募集人
ペット保険
地震保険
家リフォーム提案
葬儀運営
ポスティング依頼(希望者のみ)
カブトムシ幼虫飼育方法
シルバー人材センター取り扱い
全国民生商工会取扱店

などなど。その他多数。

「社会起業家・坂中力」の考える
起業家マインドとは何か

これまでも、幼少期の自分自身を含めて、本当に困っている方を何人も見て参りました。私自身、年齢と経験を積み重ねる中で、そのような方々の生活が少しでも向上していけるように、自らが社会起業家としてそのような道を開拓していきたいと深く考えるようになりました。
単なるお金儲け主義ではなく、社会的に困っている方々の救済、生活向上を目的とした、きめ細かい視点より、皆様の力を引き出してその力を合わせることが、私の起業の原点となっております。
現在は、人に優しい『副業の総合商社』を目指すことにより、社会貢献に力を注いで参りたいと思っております。

これからの人生における
夢・目標・ビジョンについて

私の目標は、100歳まで生きることです。70歳を過ぎる頃より、「自分はよく頑張ってきた」と自分自身を褒めることのできる人生を、今後も送りたいと思っております。

また、「面白い人が泉州におおったなぁ」と、
一人でも多くの方に知っていただけるような人生でありたい。

そして、これからの若い方々に少しでも勇気を与えられるような人生を送りたいと思っております。

坂中 力

Profile

坂中 力

誕生日:昭和24年11月25日 血液型:B型 
鹿児島県南さつま市出身

昭和40年3月

笠沙町立玉林中学校 卒業

昭和47年3月

大阪府立第二工芸⾼等学校 卒業

平成23年3月

専門学校エール学園 卒業

職歴・経歴・活動実績

・電機メーカー時代(3年間)
・デザイン会社時代(5年間)
・「坂中メカニカル」個人事務所(27年間)
・「かわち・くらぶ」(1995年~2019年)
・「チーム坂」(2019年~現在)
・「さかなや倶楽部」 (2022年~現在)

・介護職員初任者研修取得 (2011年)

趣味

・観賞魚の飼育

お気に入りのアイテム

座右の銘

『人生元気が一番』

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〒592-0014 大阪府高石市綾園7-3-35 櫛谷ビル2F
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携帯電話:090-3560-5996

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