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25th プロジェクト

『正川子葉』記念館
最後のご奉公『なぜ私は生きなければならないのか』を
『言の葉メッセージ』で伝えていくプロジェクト

~起業家・書道家として、また、夢を叶えるための本質をお伝えする伝道師として役割を果たしたい~

正川子葉『最終章』
~50年の歩み・・・そしてこれから~

正川子葉にとっての
『言の葉メッセージ』への想いを語る

SNSで言の葉メッセージを世界に発信

X(Twitter)

皆様、こんにちは。正川子葉です。
様々な皆様との出会い、ご指導、ご声援により、
私の人生は幸いにして「書の道」一途に従事、邁進することが出来ました。
皆様へ「書を通じて深い感謝の念を伝えること」を人生の意義として、これからも精進する所存です。
私自身の人生を豊かにしてくれた「書」。
この「書」という伝統文化をもっと多くの皆様に身近に感じて頂きたい。
また、「文字」を通して、皆様と心を一つに豊かな心を育むことができたらと、
『言の葉メッセージ』を広く配信させて頂きます。
人生の出逢い、「一期一会」を大切に、末永くお付き合いをさせて頂ければ幸いです。
又、人生の集大成の我が人生を赤裸々に暴露させて頂きます。
人との出逢いによって起こる不思議の連続、現実の世界の中での超常現象、
全て劇的な出逢いによっての怪奇現象です。
たかが19歳の小娘に何の力があってのことか。
生徒1人から始まって、2,500人までの所帯に発展した人生は、全て目から鱗であります。
又、50周年を期に、書道講師育成講座(無料)を随時、展開して参ります。
一人でも多くの書家を育て、独立して教室開講出来る様、微力ながら皆様のお手伝いが出来たら嬉しく思います。独立まで最短3ヶ月から6ヶ月を目指して、後進の指導に力を注いで参ります。
趣味と実益を兼ねられる素晴らしい人育ての仕事、ご関心のある方は是非、お気軽にお問い合わせ下さいませ。
苦しみからの脱出劇、「夢見る夢子」から始まり、
「夢に生きて夢を実現するのが夢」の正川子葉の人生劇場を篤とご覧下さり、
良いも悪いも参考にして頂ければ、最終章の人生に相応しい私の花が咲き乱れる事でしょう。

株式会社大阪CMO文化学院 代表取締役 正川子葉

オフィシャルホームページ

この指とまれほんまもん出演
(2023/10/31放送分)

この指とまれほんまもん出演
(2020/10/6放送分)

正川子葉のライフヒストリー

少~学生時代

昭和25年2月18日、大阪府八尾市に父常夫、母シヅ子の次女として生まれました。
父親は自動車修理工場を経営しており、お客様とは1対1で向き合う誠実な姿勢で日々仕事に取り組んでおりました。その成果もあり、会社の営業成績も順調に伸び、裕福な生活の中で楽しい思い出の多い幼少時代を過ごさせて頂きました。両親が共稼ぎであった為、小学校入学前までは祖母が家事や身のまわりの世話をしてくれ、穏やかで明るい家庭生活でありました。しかし、祖母が亡くなった後は3歳年上の姉、4歳年下の弟と力を合わせて、風呂焚きや掃除などの家事全般を連携してこなしておりました。
両親の性格は正反対、父親は子どもに怒ったことがないほど優しい性格で、誰に対しても感謝して頭を下げるような人柄でした。母親は、心根は優しい人ではありますが、厳格な性格でプライドも高く、その上負けず嫌い、常に目標や結果を求める人でした。特に弟は、子どもの頃より「総理大臣になるんやで」と言って育てられ、そのような教育方針の成果か、最終的に社員数700人を擁する八尾市を代表する企業を、一代で築き上げることになりました。
私自身、読書が趣味で勉強好きな姉とは対照的に、幼い頃より近所の友だちを集めてはお芝居をするなど、芸事が好きな女の子でした。目立ちたがり屋で、笑顔を絶やさないことにも心掛けていたので、学級委員選挙のときには愛想を振りまいて、クラスの関心を惹き寄せることにより、学級委員に選ばれることもしばしばありました。
本名が「池田あや子」、出席順は女子で1番であったことが多く、そのままクラスの女子代表になることも多かったので、人前でも物怖じしない経験を積ませて頂けたように思います。
小学校4年生の時、人生の転機の一つといえるエピソードに遭遇します。学芸会の主役とヒロインを選ぶ際、主役には憧れの男の子が決まり、ヒロインを決める際、先生より「池田」と呼ばれたので自分が選ばれたと思い、元気よく「はい!」と応えた結果、「可愛らしい方の池田や、お前じゃない」と言われ、とてもショックで心に傷を負う出来事になりました。
当時、クラスに私と同姓の女の子がおり、彼女はいつも可愛い服を着せてもらっていたので、ヒロインには彼女が選ばれて当然でした。当時を振り返ると、私の服装は地味で、母親が縫ってくれたスカート、又編んでくれたセーターを着ることが多かったので、見た目で比べられて決められたようにも思い、余りの悔しさに人目も憚らず泣き出したのを鮮明に覚えています。
このエピソードでの悔しさから、必ず先生を見返すのだという気持ちが強く生まれ、いろいろなものに興味を持つことで、「美意識」を高めることに全力を注ぐようになるきっかけ作りとなりました。それ以来、見ること、聞くこと、触ること全てにおいて、何でも興味を持ち、自分の感覚の中に取り入れていくことに注意を傾けました。今では、そのきっかけをくれた先生に感謝できる自分になれたことが嬉しく、そのお陰で今の正川子葉が出来上がったといっても過言ではありません。

その後、大阪の進学校である四天王寺高校に入学、幼稚園の先生になることを夢見て勉強に打ち込でいた高校3年生の時、第2の転機が訪れます。その年の2学期の終わり頃、正月前に最愛の父親が吐血します。職業柄、常にお客様とお付き合いでお酒を飲む機会も多く、それが原因で、戦争で痛めた肝臓が悪化し、突然、入院する事になりました。父親っ子だった私は、父親の体のことが心配で、学校を休み看病に専念することを決意しました。父親も、もし退院できたら大好なお酒をやめると約束をしてくれ、数ヶ月間、父子の思い出となる日々を過ごさせていただきました。
高校最後の3学期は全く学校に行かず、毎朝5時に起きては近くのお宮にお参りしたり、また病気に効くという噂を聞けば、遠くのお寺や神社に参ることもありました。
しかし、懸命の看病の甲斐なく、私の満18歳の誕生日の朝に、父親は46歳の若さで帰らぬ人となりました。大好きだった父親の亡くなった日が、あろうことにも私の誕生日だったということで、それ以来、「私には、誕生日という祝日はやってこない」と思い、それ以来、誕生日の祝い事はしなくなりました。以後、「夢を実現する」ために生きることに、全力を注いで行こうと強い決意をしました。
子どもが大好きで、幼稚園の先生になりたい一心で勉強に励んでいましたが、父親の死去により、大学進学を断念しなければならなくなりました。そして、姉と一緒に父親の自動車修理工場を継ぐこととなります。

甦る絆 池田常夫50回忌記念
正川子葉

会人時代

①家業(自動車修理工場)継承時代
高校卒業直前に父親が亡くなったので、当時、まだ弟が中学1年生で、なんとか高校を卒業するまで、姉と一緒に経営権を継ぐことになりました。自動車を扱う仕事は、男性がメインの職場、経営者といえども、洗車と掃除が主な仕事でした。時に回収が難しい集金にも、一人で行かなければならないことも多々ありました。数年間、朝早くから夜遅くまで、暑い日も寒い日も作業服を着て仕事に励む日々が続きました。年末年始、女の子が着物等で着飾る季節に、周りの人たちの服装と自分たち姉妹の境遇の違いに、私たちは悲しい思いも多々経験しました。
結局、夢であった幼稚園の先生にはなれず、子どもと接する仕事がしたいという思いは消えることはありません。学歴がなくても、「先生」という仕事はないかと模索する中、中学時代に「書道」で大賞をいただいた記憶が蘇り、家業の継承から数か月後、家業の経営と並行して、新たに書道塾の門をたたくことにしました。

②書道塾助手時代
18歳の秋、私の人生の唯一の先生となる北谷大邑先生の書道塾を訪れます。先生は、私を妹のようにかわいがってくれました。そこで「教えることも勉強だ」と、初めから先生のお手伝いをさせて頂き、書道を通じて大好きな子どもたちを教え、育てる仕事に就くことが実現しました。それからの日々は本当に楽しく書道の先生として、充実した人生を過ごす基礎を築くことが出来たのです。

業~現在

①『子葉学院』 (1968年 ~ 現在)
19歳のときに、『子葉学院』という法人を立ち上げます。商売人の子として育ち、誰とでも仲良く笑顔で接することが自然体で出来、評判が評判を呼んで、口コミで大勢の生徒が入ってくれることになります。「書」は一発勝負のところもあり、そのような中での度胸が、この大勢の生徒さんによって養われました。はじめは、生徒もいとこ1人だけだったのですが、35歳の頃には2,500人にまで増えました。また、子どもたちに教える姿や、生徒を大勢集めるのを見て、書道家の先生方の中で評判になりました。当時の私は母親の教育の影響で、やるからには結果が出るまで妥協をしない性格でした。しかし、人と衝突することが苦手で、情に深い気質も持ち合わせていましたので、字が上手だからというのではなく人間の魅力で大勢の方が参画してくれたのかもしれません。
私自身、性格的に物やお金に執着するタイプではありませんが、事業の成功を第一と考え、生徒のニーズと利便性の良い場所をとの思いで、近鉄沿線に活動を広げて行きます。振り返りますと、13度の引越しを重ね、その都度、教室が増えて、生徒数が増えていくに繋がったように思います。
23歳のとき、高校時代よりお付き合いをしていた建築会社に勤めている男性と結婚することになります。家庭的な面も大いに手伝い、主人に対しても一生懸命仕え、ただただ主人の出世を第一に考え、家庭の中では主人と一度もケンカすることなく、穏やかな生活を送る事が出来ました。

35歳の頃、学院の全盛期を迎え、「この世に金のなる木がある」と怖くなり、奈良県當麻町に家を新築することにしました。しかしそれも束の間、一世一代の「夢の御殿」も全く予期しない出来事に遭遇し、一瞬にしてなくなるという結果になりました。それまでケンカひとつしなかった主人とも別れることになり、大切な家までも無くなり、家庭が崩壊します。その時に、神事に詳しい福井先生という方にご縁を頂き、いろいろと相談に乗って頂く中に、「思ったことは必ず実現する、だから夢を捨てないで頑張りなさい」という『想念』の世界を教えて頂きました。同時に、ゼロになる事を言われ、ゼロにならなければ不思議が起こらないとも言われました。先生のご指導を忠実に実行した結果、約2年後、それに勝る物件と活動の場を手にする事が出来たのです。また、福井先生は「私の体の中に7人の書道家の守護霊が憑いている」と評価をして頂き、それも大きく正川子葉を育てる結果になりました。
いろいろな苦難を乗り越えることができたのは、幼い頃に父親に教わった「誰に対しても親切にしなさい、誰に対しても頭を下げなさい」という教えも根底にあったからでしょうか?

父親を早くに亡くし、家庭生活に憧れを抱いていた私は、離婚してまもなく、結婚を約束する関係まで進展した方との出会いがありました。お互い信じ合い、求め合い、入籍の準備段階にまで進みましたが、前妻との婚姻関係が解消できなかった為、再婚には至りませんでした。その後、その男性が余命3か月の癌を患っていたことがわかり、身内には大反対されましたが、敬愛する人の為との思いが打ち勝ち、共に病気に向き合い頑張る事を決心しました。その甲斐あって、3年程生きることが許され、大切な時間を過ごすことが出来ました。亡くなるまでの前妻とその家族の事を考えますと、私たちが出会ってしまった結果において、大変寂しい思いをさせてしまい、又、大勢の廻りの方々を巻き込んで心配をかけた事において、申し訳なく思っています。
私たちにおいては、共に懸命に生き、死と向きあい頑張ろうとした事に後悔はありません。むしろ満足と感謝の思いでいっぱいです。生まれ変わる事が出来るなら、今度こそ祝福される結婚をし、良き家庭を持ちたいと願うばかりです。

又、新しい人生の始まり

※『子葉学院』を立ち上げてからの具体的な活動内容は、
後段のプロフィールの中の「活動実績」に記させて頂いています。

改めて自分の人生を振り返りますと、学院の合言葉である、子どもたちからの「先生、今月もよろしくお願いします」という言葉に励まされ、今日まで子どもたちと共に、夢を育てることに、喜びと充実を感じて来ました。辛い仕事も勉強も、子どもたちと関われ、筆を持つことで私自身も癒されて来ました。現在も、大勢の方々の支えのお陰で、一意専心、ただただ「書く」ということに打ち込んでいる毎日です。

『株式会社大阪CMO文化学院』について

19歳の時に、『子葉学院』を法人化し、最初、生徒はいとこ1人からスタートしました。
当時は「読み、書き、そろばん」の時代であり、時流にも乗り、結婚する前には、幼稚園から老人会まで、会員数は5~600名まで跳ね上りました。
その後、最終的に、2,500人の大所帯にまで成長する事になりました。

【大阪CMO文化学院】(Culture Management Office)の
主な事業について

・ニューヨーク国連本部にて、「書のパフォーマンス」 [36歳]

・産経 「夢の祭典」・・田辺靖夫「車椅子チャリティーコンサート」にて、『紅時雨』の歌と踊りと「書」のパフォーマンスを披露 [49歳]

・2001年「ポーランド&日本国交回復45周年記念式典」に、『黒田節』の「書」のパフォーマンスを披露(ポーランド県立スタルトスポーツセンターにおいて、1,000人展を開催) [50歳]

・2001年9月11日のアメリカ同時多発テロで、ワールド・トレード・センタービル内の『一聲』という作品が、「幻の書」と化した [51歳] 

・2002年~2005年 チャイルド・アカデミー保育園新設、同保育園園長に就任
(東大阪市吉田) 

・2007年4月1日、阪神淡路大震災の野島断層にて、阪神淡路大震災慰霊碑建立写経奉納式典(1万6千通の写経を奉納) [57歳]
(YouTube『誰何TV』2021年3月30日放送分をご参照)

阪神淡路大震災慰霊碑建立式典
大凧・連凧あげまつり

・PHP社より『丁寧に書くクセの付くえんぴつ練習帳』を発刊、6万部の偉業を成し遂げる [63歳]

・亡父「50回忌追悼記念」として、『妙法蓮華経如来寿量品十六』揮毫
東京ビッグサイトにて披露[67歳]

(亡父50回忌追悼記念作品「東京ビッグサイト」にて)

・大阪府八尾市立大正小学校「創立100周年」記念作品として、『百駿の図』を発表、贈呈する [72歳]

『一般社団法人
今ここに笑顔で生きる一筆会』について

・様々な方に、楽しんで筆を持つ機会を持って欲しいとの思いで2018年11月に設立。
・日本の伝統文化を学ぶということは、心の豊かさに繋がる。そこに人生の生き甲斐を見出してもらう事を目的とする。
・手を動かして「書」を書くことは健康に繋がり、みんなで取り組むことで、楽しみの場が広がる。
・特に高齢者においては、手が不自由でも楽しんで頂く為に、握って書ける筆を開発、「書」を書く喜びを楽しんで頂けるような内容作りを強化した。

「正川子葉」にとって「書道」とは

書家・正川子葉の人間性と情熱を通して、人間の「情味」を知って頂く。
そして、「書道」を通して書く楽しみを、一人でも多くの方に伝えていく事の使命を感じております。それが私の喜びであり、務めでもあると思っております。
大切な日本文化のひとつとして、これからも「書道」の道に努力邁進し、後世に「書道」を伝えて参ります。

「正川子葉」の代表作品について

正川子葉の代表作品動画

介護付有料老人ホーム“ロングライフ京都嵐山”看板揮毫

「正川子葉」の「言の葉メッセージ」とは

私の人生の最終章における使命として、毎朝7時に発信させて頂いております。
平安時代の紀貫之にも、「言の葉」という言葉が使われており、「思いを伝える」ためのひとつの大切な手段として、「正川子葉の今日お伝えしたい『言の葉メッセージ』」を全国津々浦々にまで配信いたします。
この活動を始めて、約10年になります。なぜか365枚のカードが手に入り、そこから4枚を引き出し、その4枚の関連性を紐解いていきます。合わせて、なぜこのカードが出てきたのかという裏付けで、先人の言葉や格言を紹介しております。決して占いではありません。毎日の生きる指針としてお考え下さい。
今現在の直の配信は1,000名ほどですが、その先々の末端における数は想像もつかない状態になりました。

正川子葉にとっての
『言の葉メッセージ』への想いを語る

X(Twitter)

『想念』について

「想念」とは、一途な思いが形になる強い思いのことです。
「想念」には、形を変える力があります。夢を実現する強い思いのことです。それは偶然を必然に変える力なのではないでしょうか。
私の方法は、
①まず、心にしっかりと思いを植え付ける。
②そのために思いを紙に書く。
③いつも目に入るように、それを家のどこかに貼る。
④そして、自分とその思いが一体になるような状態に至るようにする。

さあ、やってみて下さい!

「書道家・正川子葉」の考える
起業家マインドとは何か

私が考える起業家マインドは、「責任」という言葉に尽きるように思います。
これまで自分を支えてくださった方々、今現在、自分を必要としてくださる方々のために、先々の方向性と方針を決定し、多くの方々を導いて行くという「責任感」が、起業家マインドであると感じております。
私自身も、はじめは女性だからいつでも辞めることができるという感覚で始めました。しかし、仕事を続ける中、お世話になった方々や自分を必要とする方々に対し、「責任感」を持って活動し続ける事と、今決心を固めた次第です。

これからの人生における
夢・目標・ビジョンについて

これまで書道家として培ってきたことを、どのように継承していくかを考えております。
求めて下さる方々の隠れた才能を見つけ出し、引き出し、応援させて頂くことが大切と考えます。
また、一人ひとりの幸せのために、「言の葉メッセージ」を今後とも発信させて頂きます。心の指針としてご活用下さい。責任を持って配信させて頂きます。
「人間は2度死ぬ」という言葉があります。1度目は亡くなった時、2度目は語り継がれなくなった時といわれております。正川子葉として、いつまでも語り継がれるような人生になる様、これからも努力邁進する覚悟でございます。

「なぜ私は生きなければならないのか」を
伝えていくプロジェクトについて

令和3年9月、11月と2度の骨折により、予想だにしない人生の転換期が来る。1,000人に1人の確率で起こった骨折事故による手術の不手際、不眠・薬害による拒食症・・・!
特に、情緒不安定による神経障害と、足の痛みと心の痛みに耐えかねて死を決断、家族を前に人生最後を告げた時、実姉からの叱咤、この自分の立場の責任を問われる中、苦渋の策として再度生きる道を選ぶが、それからの1年間というもの、出口の見えないトンネルの中を歩き続けた。”自分に勝つ“の苦しさは、今迄に味わった事のない孤独感にさいなまれ、深い深い奈落の底に突き落とされる毎日であり、同時に、死に場所を探している自分が怖かった。しかし、責任というその一言が、私を再び生き返らせてくれる結果となる。2年目にして、ようやく心の安定を見出せるようになった。
しかし、腓骨神経障害における麻痺で起こる足をセメントで固められている状態は変わらない。また、うつ状態も7割の回復度、死のうと思っても、使命上の責任を問われると弱い私。どうせ死ぬことも許されないなら、これを武器にして前向きに立ち向かおうと、開き直りの人生を選択、もうこうなったら苦難は幸福の門を前面にやるしかない、やる限りには私の生き方をバネにして若い人たちに「喝」を入れようと、特別の才能や学歴がなくても「花の王道」を歩く事が出来ると、そんな経験を多くの人に伝えていく、この私の使命の道は正しい選択肢であろうか。

(私が死のうとした時に力をくれた子たち、ふうちゃん、ももちゃん!)

正川子葉

Profile

正川子葉

生年月日:昭和25年2月18日 血液型:B型 大阪府八尾市出身

昭和40年3月

八尾市立大正中学校 卒業

昭和43年3月

私立四天王寺⾼等学校 卒業

職歴・経歴・活動実績

・1968年
子葉学院設立
・1985年
文化に貢献する会・CMO(カルチャー・マネージメント・オフィス)結成
書塾経営者養成セミナー同時開催
産経国際書院審査員に推挙・評議員に任命
・1986年
ニューヨーク国連本部にて「書のパフォーマンス」披露(当会より4名参加)
・1993年
㈱大阪CMO文化学院設立
書塾経営者の養成に努め、現在までに近畿一円において500有余名の指導者を輩出している。なお、日常生活に役立つ書として実用書道の重要性を提唱、小筆とペン字が同時にマスター出来、現代人にマッチした書き込み用テキストを作り出す等、今までの書道界にない教育方針で指導。
・1994年
財団法人日本書写技能検定協会より優秀校に認定表彰授与される
・1996年
〔実用生活の書・心の道〕を監修
・1999年
産経国際書会・理事に就任
柳生の里「里の駅」と提携、オープニング公募展共同開催
第11回産経舞踊の祭典、奈良大会で【傾城】の踊りと書のパフォーマンスを披露
・2000年
田辺靖夫(車椅子チャリティコンサート)において【紅時雨】の唄と踊りと書のパフォーマンス披露 (東芝EMIよりCD発表される)
大阪CMO文化学院に保育所新設・チャイルドアカデミー保育園開校 園長に就任
・2001年
現代大判オリジナル【般若心経】手本揮毫(日本通販にて出版)
ポーランド&日本国交回復45周年記念式典において【黒田節】の書と踊りのパフォーマンス披露、ポーランド県立スタルトスポーツセンターにおいて【1000人展】
産経国際書会・専管理事に就任
・2003年
恵比寿【萬財】掛け軸・永代浄土【般若心経】巻子書写・監修(日本通販より販売)
・2004年
阪神淡路大震災10周年を迎えるにあたり、全国奉納写経を企画 スタッフ・資料・印刷等関連分野の拡大
こども倫理塾・・於堺市百舌鳥会館【夏休み チビッ子楽しい写経会】開催
・2005年
阪神淡路大震災10周年写経会を全国会場で実施。犠牲者6434名の数の方に参加依頼開始
和の融合展・・於泉佐野市有形文化財新井邸にて正川子葉と門下生展
・2006年
奉納写経の永久保存・普及事業を確立するため、慰霊碑建立を企画推進
・2007年
2月28日 3年1000日運動
全国奉納写経参加者動員(震災犠牲者になられた方の数)を大幅に上回り、7258名の動員を達成、満願を果たす
4月1日 慰霊碑建立・阪神淡路大震災奉納式がとりおこなわれ、全国より総数500余名参加【毎年4月1日を写経奉納日と定めている】
・2008年
㈱大阪CMO文化学院本社の新社屋を富田林市南旭ヶ丘町に建築・移転
社会福祉法人・和貴会【スローライフ吹田】新設記念作品【おかげさま】300点揮毫
・2009年
夢の学校・輝き塾を新設
産経国際書会・常務理事に就任
・2010年
ハッピィファミリィ社依頼による大判色紙【夢】タペストリー仕上げ100点揮毫販売
・2011年
平成24年度<干支・辰>にちなみ箔アート【龍】50点揮毫販売
社会福祉法人【スローライフ歓】にて心の勉強会開催する
・2012年
ロングライフ社【京都・嵐山】新社屋建設に伴い看板・暖簾等揮毫
心の勉強会にて四国八十八ヶ所・西国三十三ヶ所巡りを施設にて実施
・2013年
PHP社依頼により『丁寧に書くクセの付くえんぴつ練習帳』発売・現在4万部
・2014年
南都銀行高田支店・新社屋落慶記念品として堀田幸次郎氏より産経国際書展30回記念参加作品を購入依頼にて売却スローライフ理事長・池田貴彦氏還暦記念作品【雅】300点製作
・2015年
産経国際書展会副理事長に就任、松原倫理法人会会長したはら氏 以来作品【八】揮毫
高野山開創1200年記念奉賛(大判般若心経)献書
・2016年
産経国際書展・関西展実行委員長拝命
・2017年
大阪CMO文化学院―動画配信
・2018年
阪神淡路大震災慰霊碑奉納十周年記念・おみくじ写経500点奉納
正川子葉【最終章~50年の歩み・・・そしてこれから~】 於リーがロイヤル大阪<光琳の間>『式典及び50年の歩み<集大成個展>』
一般社団法人今ここに生きる一筆会発足 11月15日設立
・2019年
≪オオサカシーエムオー文化学院≫顧問【実弟池田 貴彦氏 死去に際し偲ぶ会】リーがロイヤルホテル大阪
今ここに笑顔で生きる一筆会 第一回産経新聞社主催≪紙上展覧会≫開催<参加者総数2351人>
・2020年
【秋の夢饗宴 芸術交歓祭】にて一筆会代表理事として≪アート作品展示≫於ホテルアゴーラ大阪守口
・2021年
【春の夢饗宴 芸術交歓祭】にて一筆会として≪作品参加・書のパフォーマンス≫於帝国ホテル大阪 記念作品として『百駿の図』新作発表
・2022年
大阪府八尾市立大正小学校 創立100周年記念作品『百駿の図』創作・発表贈呈

趣味・お気に入りのアイテム

趣味:仕事
お気に入りのアイテム:着物

座右の銘

『夢を実現するのが夢』
『努好楽』

正川子葉へのアクセス・お問い合わせについて

〒584-0007 大阪府富田林市南旭ヶ丘23-39
【株式会社 大阪CMO文化学院】【一般社団法人 今ここに笑顔で生きる一筆会】
TEL.0721-24-5002 (代表)【株式会社 大阪CMO文化学院】
携帯電話.090-9717-0647

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